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「懐徳堂」は今年、開設300周年を迎えます。
記念連載「懐徳堂 私の”推し”」スタートにあたって
大坂の町人たちが資金を拠出して作り上げた「学問所」
震災、火災などから学問基盤の消失を守る機運が脈々と
大阪大学の源流の一つと位置づけられている懐徳堂が、淀屋橋の南の方に開かれたのは、今から三百年前の享保9(1724)年の秋でした、町人たちが中心となって資金を拠出することによって実現し、享保11(1726)年、幕府の官許を得て「学問所」となりました。
懐徳堂三百年となる今年の秋、大阪大学博物館で懐徳堂に関する展示会を、大阪大学中之島センターで江戸時代から現代に至る大阪の学芸に関するシンポジウム(江戸時代から明治時代にかけての漢文学を専門として、広い分野について多くの関心をお持ちのロバート・キャンベル先生のご講演など。詳細は別項)を行います。それらに向けて、「21世紀懐徳堂」のWebサイトとメールマガジンで、懐徳堂のことを広い層の皆さんに、より多く知って頂くための記事を載せることとなりました。懐徳堂にまつわる人々は多く居ますが、その中から、各執筆者の「推し」を紹介してもらいます。
なお、懐徳堂の業績を顕彰してその意義を時代に伝える「懐徳堂記念会」は、大阪大学人文学研究科(文学部)に事務局が置かれていますが、大阪大学内の組織ではありません。一方、「21世紀懐徳堂」は、大阪大学内の組織として、その理念を学内で引き継ぐ活動を展開しています。
明治の世となり閉学した懐徳堂を大阪の街に再興しようと、明治43(1910)年に作られ、今に至るのが懐徳堂記念会なのです。三百年前と同様に110年少し前にも大阪の財界が動き、大正5(1916)年、現在でいうと堺筋本町駅の近くに「重建懐徳堂」が建てられました。ここには専属の研究者も置き、ほかに京都帝国大学などから講師を招くなどして、さまざまな講座も開かれて、大阪の文化的活動を担うこととなりました(大阪帝国大学に文科系の学部が設置されたのは戦後のことです)。
昭和20年3月14日未明の大阪大空襲で重建懐徳堂は焼失しました。書籍類は耐火書庫に収めてあったので焼けずに済み、これらの書籍が、文科系学部が作られて大阪の文化を担うことが期待される大阪大学に寄贈されることとなり、懐徳堂記念会の事務局も大阪大学文学部に移されたのでした(懐徳堂記念会は、今なお、法人会員・個人会員からの会費収入で運営し、公開講座などを開いています)。戦禍から書籍を守った耐火書庫は大正15(1926)年に竣工したものですが、書庫を火に強いものとして設計したのには、大正12(1923)年の関東大震災で多くの書籍が焼失した(東京帝国大学図書館など)ことがあると思われます。火災は書籍にとって大敵であることが改めて意識され、震災後には貴重書の複製本を作る動きなどが盛んになるなど、書籍を滅失から守る動きがあったのでした。
懐徳堂は、寛政4(1792)年の火災でも焼けておりますが、寛政7年に幕府より再建の許しを(資金も)得て、寛政8年に再建されたのでした。また、懐徳堂の創設にも、大坂の大火が関わっています。
このように、学問を志す高邁な精神と、火災などの厄災などに見舞われながら生き続けてきた「懐徳堂」の歴史と業績を6回にわたって連載して参ります。ご期待ください。
「懐徳堂 私の”推し”」第1回 「五井蘭洲」
漢学、国学双方に驚嘆の博識・業績
大火から三宅石庵とともに平野郷に避難、「懐徳堂」開設の端緒に
岡島昭浩・大阪大学人文学研究科教授
懐徳堂記念会事務局長
享保9(1724)年3月に大坂で大火がありました(「妙知焼け」と呼ばれるものです)。大坂で私塾を開いていた三宅石庵も被災し平野郷へ避難しましたが、そこに大坂町人の「五同志」が訪れ、三宅石庵に要請して、懐徳堂が開かれることとなったのです。この時の火災で同じく平野へ避難した人に五井蘭洲が居ました(病身の母を背負って避難したものの宿所で母を看取ることになる、という孝行譚も残されています)。
五井蘭洲は後に懐徳堂で教えることとなる人物ですが、漢学はもちろんのこと、日本の文事についても研究していました。『日本書紀』の文章・用字法を中国語学の視点から鋭く分析し、『日本書紀』の成立論を進展させた森博達氏は、『日本書紀成立の真実』(中央公論新社、2011年)の中で、蘭洲が日本書紀の漢文に見られる、漢文が日本的になっている部分を指摘している(『刪正日本書紀』と題されて伝わる、『日本書紀』版本への蘭洲の書き込み)ことについて、その学識に驚嘆の声をあげられています。これなどは、漢学と和学(国学)に跨がるような業績と言えるでしょう。
●『源氏物語』に見られる語句を注釈 当時の「用語辞典」
蘭洲は、和文で書かれたものも対象としています。ここでは、そのうちの一つ、『源語詁』(刊行時の名は「源語梯』)を挙げます。「源語」というのは源氏物語のことで、「詁」は「訓詁」の「詁」で「読み方」「注釈」というようなことです。『源氏物語』に見られる語句を注釈している、源氏物語用語辞典とでもいうようなものです(写真①)。漢学で培った訓詁学、古代語研究の力を日本の古代語研究に向けたものであり、五井蘭洲たち学者は、中国のことを研究しようとして漢学を修めたというよりも、当時の進んだ学問として漢学を学んだのだと感じることが出来るものです。
当初、『源語梯』は著者不明の書として出版されました。これが五井蘭洲の『源語詁』を改編したものであると気づいた人が居て、『源語梯』には、中井竹山の「源語梯弁」という文章が添えられることとなりました(写真②)。
●写本すらほとんど現存せず。懐徳堂記念会が貴重書を購入
写本で伝えられた『源語詁』は、あまり残っておらず、現存するものは、園田学園女子大学の吉永文庫にあるものだけが知られています(康盛国「『源語詁』と『源語梯』の比較」『京都大学國文學論叢』35を参照)。実のところ、この現存本の『源語詁』が、五井蘭洲の記したものであることに間違いないのは、『源語梯』があってのことです。五井蘭洲の父、五井持軒は、「和語集解」という書を著したと伝わり、内容は不明だったのですが、十年ほど前に、これではないかと思われる本を含む書籍類を懐徳堂記念会が購入したのです。しかし、この現存本が、本当に五井持軒の著したものであるのか(五井持軒に仮託したものではないのか)、また五井持軒の著作であるとしても、どれほど持軒の書いたものを正確に伝えているのか、については、この書に言及したり、この書の影響を受けたと思われるものとの比較を経ないと、なんとも言えないのです。
●「火災などの敵から書物を守る」 デジタル化を目指し
書物の敵は火災ばかりではなく多くありますが、複製しておくことで、火災などの敵から書籍の滅失を防ぐことが出来るものであり、現在の技術では撮影してデジタル化することが、書物によって伝えられる情報の滅失を防ぐ手段として、よいものだと考えられますが、現状では、まだまだ撮影は不足しており、一点ものの写本の撮影が出来ていないものもあります。貴重な書き込みのあるものであっても、版本などの撮影が出来ていないものが多くあります。今後、資金を得て、デジタル化して行くことが望まれるものです。=第2回は2月下旬ごろ掲載予定。
懐徳堂300周年 記念シンポジウム(仮称)
日付 2024年10月26日(土)
会場 大阪大学中之島センター10階「佐治敬三ホール」
基調講演 ロバート・キャンベル氏(早稲田大学特命教授・日本文学)
鼎談 ロバート・キャンベル氏
鷲田清一氏(大阪大学元総長・哲学)
飯倉洋一氏(大阪大学名誉教授・日本近世文学)