大阪大学 21世紀懐徳堂

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第56回大阪大学公開講座のイラストに隠された秘密!

2024.07.25

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大阪大学の源流である「懐徳堂」が開設されて300年となる2024年。

学問というと少し敷居が高いですが、いつの時代も新しい学びの場は私たちの人生を彩ってきました。懐徳堂開設300周年をお祝いするとともに、わくわくする学びの場を市民の皆さまとともに創っていきたいという思いを込めて、過去と現在が混在する「時空を超えた学びの場」をテーマに、イラストを制作しました。

イラストをよく見てみると、かつての懐徳堂に集った学者や町人の姿があります。さらには、スマホを持って撮影する人やロボット、ドローンといった現代を象徴するものも描かれています。それだけではありません。大阪大学ならではの〇〇や〇〇〇〇が隠されています。
あなたは何を見つけたでしょうか?
この絵に隠された秘密探しを楽しみつつ、公開講座の開講までの時間をお過ごしください。

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懐徳堂ゆかりの人物たち

近代学校が登場する以前、日本各地には藩士の子どもが通う藩校や庶民の子どもが通う寺子屋などがありました。諸藩によって建てられた藩校や知識人の自宅にて開かれた寺子屋とは異なり、町人たちによって建てられたのが懐徳堂です。好学と自治という町人たちの志によって開かれた懐徳堂は、大坂の地における学問的発展を下支えする「知のネットワーク拠点」となりました。享保9(1724)年、大坂の有力町人「五同志」と中井甃庵は、三宅石庵を招いて学問所を開設します。それが「懐徳堂」のはじまりとされます。享保11(1726)年に江戸幕府から大坂学問所としてのお墨付きを得て以降、140年余りにわたって、懐徳堂からは多くの門下生や知識人が輩出されました。明治2(1869)年、近代の幕開けとともに、その役目を終えました。

イラスト中央にはそんな懐徳堂ゆかりの人物が描かれています。それぞれを以下にご紹介します。

・中井竹山 なかいちくざん(1730-1804)

江戸時代中期の儒学者であり、懐徳堂四代目学主。懐徳堂の黄金期を築いた人物。中井甃庵(1693-1758)の長男として懐徳堂で生まれる。弟の中井履軒とともに五井蘭洲に師事し朱子学を学ぶ。二代目学主であった父甃庵の亡き後は、三代目学主となった三宅春楼を支えた。春楼の亡後、四代目学主となり懐徳堂の経営に務めた。享和4年(1804)、75歳で没。
【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第2回「中井竹山」にも掲載

・富永仲基 とみながなかもと(1715-1746)

江戸中期の大坂の思想史家。懐徳堂を創設した五同志の一人である富永芳春(1684-1740)の三男として生まれる。弟の荒木定堅(1717-1767)とともに三宅石庵に学び、若くして儒家思想を批判する書物『説蔽』を著した。才覚のある人物であったが、延享3(1746)年、32歳という若さで早逝。
【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第3回「富永仲基」にも掲載

・中井履軒 なかいりけん(1732-1817)

江戸時代中・後期の儒学者。中井甃庵の第二子として懐徳堂で生まれる。兄である中井竹山とともに五井蘭洲のもとで朱子学を学ぶ。兄竹山が懐徳堂学主として名を残した一方で、履軒は後に懐徳堂を離れて私塾水哉館を開き、多くの書物を著すなど、学者としての功績を残した。文化14(1817)年、86歳で没。

・上田秋成 うえだあきなり(1734-1809)

『雨月物語』の作者として知られる、近世日本文学を代表する文芸家。大坂・曽根崎新地の出まれ。公式の記録は見当たらないものの、懐徳堂にて五井蘭洲に国学を学んだとされる。中井竹山・履軒兄弟と交友があった。文化6(1809)年、76歳で没。
【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第4回「上田秋成」にも掲載

・山片蟠桃 やまがたばんとう(1748-1821)

江戸中・後期の大坂の町人学者。播州の生まれ。丁稚奉公に出た先で当主から目をかけられ懐徳堂に通い始める。生涯を通じて中井竹山・履軒を師と仰ぎ、商家に勤めながら研究を重ねた。懐徳堂の門人たちの中でも、極めて高いレベルの学績を残した。 文政4(1821)年、74歳で没。

・草間直方 くさまなおかた(1753-1831)

江戸中・後期の大坂の町人学者。京都の生まれ。10歳から両替商に奉公し、独立後は両替屋を経営した。若いうちから懐徳堂で中井竹山・履軒に学び、山片蟠桃と並んでその学績が高く評価された。晩年は古代から江戸時代に至るまでの貨幣の歴史に関する書物を著した。天保2(1831)年、79歳で没。

五井蘭洲 ごいらんしゅう(1697-1762)

江戸中期の大坂の儒学者。大坂に生まれる。享保11(1726)年に中井甃庵に招かれて懐徳堂助教となるものの、同14(1729)年に江戸へ移る。江戸では津軽藩に仕えるが、病気のため離藩。大坂に戻ってからは甃庵の側で懐徳堂を支えた。懐徳堂では中井竹山・履軒を教えた。宝暦12(1762年)年、65歳で没。
【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第1回「五井蘭洲」にも掲載

・中井藍江 なかいらんこう(1766-1830)

江戸時代中期の大坂の絵師。流行を取り入れつつ南画を基礎とする画風が人気を博した。 懐徳堂の門前に住み、中井竹山に詩文を学ぶなど、門下生らとの交流があった。竹山が依頼したものを含め、多くの作品が残されている。天保3(1830)年、64歳で没。
【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第5回「中井藍江」にも掲載

以上の人物紹介については、懐徳堂記念会ウェブサイト及び関西・大阪21世紀協会ウェブサイト「なにわ大坂をつくった100人」を参考にしました。これらのサイトには、懐徳堂にゆかりのある人物が多く紹介されています。

懐徳堂記念会:https://kaitokudo-kinenkai.jp/pages/111/
関西・大阪21世紀協会:https://osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/index.html

・大阪大学中之島センター

2004年4月に大阪大学発祥の地である「中之島」に開設され、2023年4月に改修工事を終えリニューアルオープン。文化・芸術・学術・技術の「四つの知」が交差する社学共創、アート、産学共創のグローバル発信拠点を形成することをコンセプトに、学内の各種イベントや展示などを行っております。
https://www.onc.osaka-u.ac.jp/

・マチカネワニ

公式マスコットキャラクター「ワニ博士」のもとになっている、マチカネワニ。

マチカネワニの骨化石は、1964年に大阪大学豊中キャンパスの理学部周辺で発見されたました。これは、日本で発見されたワニ類の化石の第一号となり、頭骨の長さが 1メートルを優に越え、ワニ類の中でも大型(体長6.9~7.7 m、体重1.3 t)に属します。
https://www.museum.osaka-u.ac.jp/feature/machikanewani/

・イチョウ

大阪大学のマークは日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である故 田中一光氏の制作によるものです。「60年の伝統を持つ銀杏をモチーフに、3つの円弧による造形の中に「OSAKA」のO をしのばせ、歴史ある大学としての知性と格調を失うことなく、大学、学生、市民へと連なる親近感を表現している。」(=制定に当たっての田中一光氏の思い)
https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/name-logo

イラストの中に、全部で6か所のイチョウが潜んでいますので、ぜひ探してみてください。
 →イチョウの場所が知りたい方はこちら!

・鶉図

イラスト中央には、懐徳堂にゆかりのある6人の人物が座しています。その背後にある屏風の絵をご覧ください。これは、懐徳堂記念会が所蔵する中井履軒‧上田秋成合賛「鶉図」がもとになっています。
歯に衣着せぬ辛口評だったといわれている上田秋成。中井履軒を厳しく批判したとの記録が残っていますが、実は、意外と仲は悪くなかったのでは?という話も。その根拠とされるのが、こちらの作品。両人が鶉の画に和歌と漢詩で賛をつけたという、現代でいうところの「コラボ作品」が残されています。

詳しくは、【懐徳堂300周年記念コラム】「懐徳堂 私の”推し”」第4回「上田秋成」にてお読みいただけます。

屏風の上部には、2羽の鳥がとまっています。イラストのテーマは「時空を超えた学びの場」。耳をすませば、現代を生きる私たちの耳にも、時空を超えた鳥たちの会話が聞こえてくるかもしれませんね。


懐徳堂300周年特設サイトもオープンしています!

懐徳堂300周年を記念し開催される、10月26日(土)開催のシンポジウムや展覧会情報をまとめた特設サイトがオープンしています。記念コラム「懐徳堂 私の”推し”」コラムも掲載しておりますので、ぜひご覧ください。

●URL:https://21c-kaitokudo.osaka-u.ac.jp/kaitokudo_300th-anniversary/

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