[イベントレポート]第51回大阪大学公開講座 「ふつう」ってなに?ダイバーシティとインクルージョン再考

[イベントレポート]第51回大阪大学公開講座 「ふつう」ってなに?ダイバーシティとインクルージョン再考

20191112日(火)に開催した今年度の大阪大学公開講座、第6回「「ふつう」ってなに?ダイバーシティとインクルージョン再考」の開講レポートです。21世紀懐徳堂学生スタッフ、孫が執筆しました。

数ある国立大学の中で、はじめて総合的な公開講座を開いた大阪大学。つねに社会や人間を考えた「実学」の精神で講義を展開し、今年で51回目を迎えた。令和元年度の大阪大学公開講座は、「次世代研究者と拓く共創社会」を共通テーマに、全8回の講義を行います。

ダイバーシティ=女性活躍ではない。さまざまな排除を前提につくられているこの社会の「ふつう」ってどのようなものだろうか?

ダイバーシティとインクルージョンの視点から、「ふつう」という言葉の意味について、フェミニズム研究、クィアとSOGIの多様性研究、障害の当事者研究などを事例として、考え直してみよう。

講師のCOデザインセンター・准教授ほんまなほ先生にご講義いただいた。先生は臨床哲学を専門として、主に対話活動に取り組んでおり、学校のこどもたちから、病院の患者さんまで、声を上げにくい人たちが、ゆっくり聴き合い、エンパワーされる場づくりを目指している。

また、2018年に、『こどものてつがく:ケアと幸せのための対話』を出版した。まさに共創社会の構築に貢献する研究者だ。

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(写真)ダイバーシティの定義を熱心に説明するCOデザインセンター・准教授 ほんまなほ先生

『「ふつう」ってなに? 』という質問がいきなり掘り出されると、気軽に答えられないような気がしてしまい身構えていたが、哲学的で難解な内容がすぐにわかる非常に明快な講義だった。最初に、「ダイバーシティの意味は人々の間の〈ちがい〉である」という仮説から出発し、それを証明する、「インクルージョン」をめぐる2つの背景について説明していただいた。次に、ダイバーシティ=女性活躍なのかという問いに対し、その回答に影響するもう一つの重要な問題である「ふつう」の定義について、フェミニズム研究、クィア研究、障害学、当事者研究など例に再考を試みた。最後に、一般人の視点から見る「ふつう」ではない、社会中のマイノリティの人たちの「生きづらさ」を大切に扱ってほしいという結論までわかりやすくご講義いただいた。

まず、「インクルージョン」をめぐる一つ目の背景について、ほんま先生はアメリカ合衆国におけるダイバーシティの変化を説明した。アメリカでは、1960年代から70年代まで、公民権運動・女性運動の時代が到来し、人種、肌の色、宗教、出身地、性別による差別が法律上に禁じられた。その結果、企業は法的手段である訴訟による賠償金支払いを回避するため、リスク管理に対する工夫を加えるようになった。1980年代から90年代前半までの間、企業は従来の消極的対策から社会的責任の履行に関する意識を覚醒し、積極的に取り組むよう戦略を転換した。さらに、1990年代後半から現代まででは、グローバル化がもたらしたサービスシステムの変換によって、多種多様な労働力を利用せざるを得ない状況となった。今現在では企業は、、ダイバーシティとインクルージョンについて、、競争優位のための戦略的マネジメントとして、労働力における多様性として解釈するまでになった。

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(写真)「インクルージョン」をめぐる2つの背景について明快な説明を加えるほんま先生

次に、「インクルージョン」をめぐる2つ目の背景について解説がなされた。その背景は、社会的排除と社会的包摂と理解することができる。1970年代のフランス社会学で生まれ始めた、新しい不平等と「社会的排除」の思想では、これまでの人々の間に生じた格差は、かつての富裕層/貧困層という所得のちがいに由来することであると考えられていた。しかし、長期失業者、ホームレス、シングル・マザー、職業資格のない若年者、1人暮らし高齢者、移民・難民など、社会の中心から離れ、周辺化されている人々の抱えるリスクは、職業の有無、ジェンダー、世帯状況、教育程度、国籍の有無、地域環境という多元的な要因から構成されている。それらの複数のリスクが諸個人の日常生活に重層的にのしかかることで、社会の中にモザイク化したインサイダー/アウトサイダー構造が生まれるのではないかと、ほんま先生は指摘する。

こうした状況から、ダイバーシティとは「女性が活躍する」でなく、「性別にかかわらず活躍できる」ということになると理解できる。1人ひとりの〈ちがい〉は、複数のファクターによって社会的に位置づけられ、不平等や格差を構成している。その一方、インクルージョンとは、人々の〈ちがい〉や多様な存在を尊重することであろう。そのような〈ちがい〉や多様性が存在するにもかかわらず、「存在しなくていいもの」とみなしてきた「ふつう」の社会の仕組み、あり方、歴史を、しっかりと認識することから、インクルージョンがはじまるのではないだろうか。

最後に、ほんま先生は、「ふつう」とは暗黙に、「基準」「標準」となる存在から、他の存在を測って定義されるが、フェミニズム哲学からみれば、「人間=男」という「基準」があり、クイア研究から考えると、「みんな=異性愛で性別に違和がない」ということが「基準」となること、そして、障害の当事者研究から見ていくと、「苦労をたいせつにする」という考え方も「ふつう」に対する一つの解釈なのではないだろうかと述べた。

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 (写真)フェミニズム哲学について熱弁をふるうほんま先生と、聴き入る参加者

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