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[イベントレポート]2015年度後期i-spot講座「大化改新と難波長柄豊碕宮」

2016年2月25日(木)に開催された、2015年度後期i-spot講座の第5回「大化改新と難波長柄豊碕宮」の開講報告レポートです。

 

 

2015年度後期i-spot講座第5回講座は、文学研究科日本史学専修ご所属の市大樹准教授にお話していただきました。「誰もが学校で習った大化改新。実は、つい最近まで「なかったのではないか」という人もいたんです」市先生から、驚きの言葉が発せられました。研究者の間で、蘇我氏本宗家の滅亡事件である乙巳の変は「確実にあった」とされていますが、その後の一連の改革については、存在を疑問視する声があがっており、「大化改新などなかった」という改新否定論が唱えられることまであったそうです。

 ところが、近年になって、大化改新再評価の動きが高まってきました。その大きな原動力となった要因は2つあります。ひとつめは、1990年代末以降、7世紀の木簡が大量に出土したことです。もうひとつが、今日の講座のテーマである難波長柄豊碕宮、つまり前期難波宮跡の発掘調査の進展でした。

 

難波長柄豊碕宮(別名:味経宮)は、孝徳天皇(在位:645~654年)が建造した宮殿です。四方が600メートル以上もある巨大な王宮で、重層の楼閣である八角形建物もそびえました。

この宮殿は、現在の通説では大化5年(649)ごろから整地・造営が始まったとされています。しかし市先生は、すでに大化2年(646)には始まっていたのではないかと考えています。講座では、なぜ市先生が通説と異なる説を立てたのか、『日本書紀』孝徳紀の難波遷都に関する記述を読み解く中でご説明いただきました。

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『日本書紀』に記される日付や宮の名前、行事の様子などを丁寧に読み解き、発掘作業で明らかになりつつある前期難波宮跡の実際の様子と比較することで、宮殿の造営がいつ頃、どのくらい進んでいたのか予測をたてることができます。

『日本書紀』の中から、元日朝賀(天皇への新年の挨拶)の儀式、左大臣阿倍内倉梯麻呂の死を弔う儀式、改元にともなう吉祥の「白雉」を献上する儀式、晦日の仏事を経ての遷都と翌日の元日朝賀、などの様子が紹介されました。

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申込みを開始して1週間で定員に達してしまうほど大人気だった本講座。参加者からは、「難波長柄豊碕宮の存在は知っていましたが、成立の過程について資料をもとに読み解いていくのは初めての経験でした」「歴史学の思考方法の一端を教えてもらいました」など、大学の先生のお話を近い距離で直接聞き、気軽に質問ができるi-spot講座ならではの体験を楽しんだという声が多く上がっていました。

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