[イベントレポート]2015年度後期i-spot講座「ごみ問題の「空間」と「地域性」〜近代以降の大阪市を事例に」
2月19日(金)に実施された、2015年度後期i-spot講座の第4回「ごみ問題の「空間」と「地域性」〜近代以降の大阪市を事例に」の開催報告レポートです。
第4回講座は、文学研究科人文地理学専修ご所属の波江彰彦先生にお話していただきました。
「地理学とは、人間と空間との関係について考える学問です」とお話を始めた波江先生。中でも、波江先生はごみ問題に着目して研究を進めていらっしゃいます。
ごみとは誰にとっても嫌なもの・迷惑なものであり、ごみ問題をたどっていくとある場所の「地域性」や「空間性」が見えてくるのだそうです。今回の講座では、1人当たりのごみ排出量が非常に多い大阪市のごみ問題について解き明かすため、大阪市がごみ処理施設を直営化した1900年まで遡ってお話が始まりました。
ごみの処理の方法は、大きくわけると「埋め立て」と「焼却」の二つの方法があります。大阪市は、1960年代に埋立処分地の限界を迎えました。有害ごみによる汚染や他の自治体とのトラブルを避けるため、大阪市は積極的に焼却処分を推進するようになります。1980年に大阪市は全量焼却体制を達成したと宣言したものの、その後もごみは増え続け、1980年代後半には全国的にも大量消費・大量廃棄社会は限界を迎えます。
1990年代に全国的にごみの減量とリサイクルが本格化し、「衛生的に処理する」から「そもそもごみの排出を減らす」へと、人々のごみに対する考え方は大きく変化していきます。その結果、2000年代になってごみ排出量は減少傾向を見せ始めました。多くの焼却工場を持っていたために却ってオーバースペック気味になった大阪市では、現在次々と清掃工場が閉鎖しています。
水都・大阪ならではと感じ、面白かったのは、大阪市のごみが1900年代から1950年代まで、大阪市によって水路で運ばれていたという事実です。講座の中では、道頓堀川を下るごみ運漕船や、川のほとりに立つ焼却場の当時の様子が紹介されました。
(当時の焼却場について解説する波江先生。)
講座の後半では、東京のごみ処理事情についてお話がありました。処分場の設営区域をめぐって「ごみ戦争」と呼ばれる事態まで巻き起こった東京都と、大阪府のごみ処理には一体どのような違いがあったのかということに、参加者の皆さんは興味津々で聞き入っていらっしゃいました。
(文責:21世紀懐徳堂 肥後)